鹿沼のむかしばなし 秋の段

泣き相撲  

                      小杉 義雄 作

 

 生子神社の秋祭りに行われる泣き相撲は、全国でもめずらしい行事で、毎年9月の第3日曜日に行われる。この泣き相撲で人々にしたしまれている生子神社は、昔は樅山神社と呼ばれ、次のような話が言い伝えられている。

 生子神社は、神亀3年(726年)9月19日に建てられたといわれ、子育ての神として、人々の進行をあつめていた。

 今から400年あまり昔、氏子に与五右衛門という人がいた。天文18年(1549年) 12月20日のこと、与五右衛門の子どもが急に高い熱を出した。熱は3日たっても、4日たっても下がらなかった。そのうち、からだのあちこちに、赤い小さな吹き出物ができはじめた。

「疱瘡(天然痘)だ」

 与五右衛門夫婦は、吹き出物を見て、驚き悲しんだ。その頃、疱瘡にかかった人は、ほとんど助からなかった.助かったとしても、吹き出物のあとはアバタとなって、一生醜く残る。
 人一倍、子煩悩な2人は、木枯らしの吹く山を歩き、肌を刺す谷を超え、薬草を探し、昼も夜も看病を続けた。だが、そのかいもなく、病気は重くなるばかりで、大晦日の夜更けに、子どもは眠るように息を引取ってしまった。目の中に入れても痛くないほど、かわいがっていた両親の悲しみは大きかった。

 「このうえは樅山明神におすがりするほかはない」

 与五右衛門は冷たく変わり果てたわが子を抱き、凍りついた夜道を、神社に向かった。境内に沸き見る清水で身を清めた与五右衛門は、「神さま、この子の命をよみがえらせてください。私の願いをかなえてくださいましたら、毎年42種類の供え物をあげて、お祭りします」と、心をこめ、夜も昼も祈りつづけた。

 3日目の夜明け、飢えと寒さに見も心も疲れ果てた与五右衛門がまどろんだときだった。ひとすじの光とともに、どこからともなくあらわれた天女が、2度、3度、子どものなきがらをさすりながら、舞い去るように、すがたが見えなくなった。与五右衛門がその姿を見送っていると、突然、「ウワァン」と、境内にこだまするような泣き声をあげて、子どもが息を吹き返した。夢ではないかと驚いた与五右衛門は泣く子をしっかりと抱きかかえると飛ぶように家に帰った。泣きつづける子どもを見た母は、あふれ出る涙をぬぐおうともせず、声もなく子どもを抱きつくしていた。

 与五右衛門は、神さまに約束した42種類のそなえものを用意すると、村中の人をあつめて、お礼と感謝のお祭りをした。そのときたまたま、ここに巡業に来ていた相撲が、この話を聞いて、子どもを抱き上げ、元気で健やかに育つように神に祈った。

 泣く子は育つとの願いがこもる泣き相撲は、このことにちなんで始められ、生子神社と呼び改められたのもその時からだといわれている。

 なお、旧正月8日には、今でも氏子一同が集まり、42種類の供え物をあげて、お祭りをしている。

 

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